Ver.22.10.29

<手描友禅と落合の文化>

◆江戸友禅は、東京手描友禅として加賀友禅や京友禅と並び、日本の三大友禅のひとつとして、今なお多くの担い手により受け継がれ育まれています。
新宿区には、東京手描友禅や東京染小紋(江戸小紋)の他、染色関連業が地場産業として立地していて、それらの製品は伝統工芸品として日本の各地に出荷されています。
新宿区における染色業の歴史は、大正時代に遡ります。
江戸の大川と呼ばれていた隅田川に水を求めていた染色業者は、河川の汚濁や周辺の地下水の枯渇を理由に清流や良質な地下水を求めて、新宿区の妙正寺川や神田川に沿って、工房や染め工場の移転を始めました。
問屋街の日本橋からの交通利便性も合って、大正12年の関東大震災を境に新宿区の染色業は急速に発展していきます。
その当時は伝承技術や技法に頼ることが多く、引き染めや水もと、天日干しの乾燥など屋外作業は、当日の天候にも左右されていました。しかし、その屋外での作業は周辺地域の人々の目に留まることも多く、季節感豊かな風情は地域文化の形成にもその一翼を担って来ました。
その後、第二次世界大戦を経て工場設備の近代化や生活文化の変遷により、それまで見受けられた大きな風呂敷包みを積んだ自転車やバイク、丸太の柱が林立する染め工場、そして風物詩とまで云われていた「水もと」(染め上がった反物の糊や余分な染料を河川で洗い流す作業)など徐々に見受けられなくなりました。
従前より落合周辺は、新宿区の中でも文化的素養の秀でた地域でもあり、昭和初頭における目白文化村の造成等も地域住民の生活意識を向上させる材料となりましが、このことは手描友禅の職人達にとっても決して例外ではありませんでした。
手描友禅の職人達は、もともとは絵師の流れを汲む人が多く、模様絵師と呼ばれた彼らは、画家や著名な文化人の居住するこの土地に羨望の気持ちを抱いていました。
その落合の環境に対するこだわりが現在まで脈々と受け継がれ、語り継がれて来ました。
東京手描友禅が現在まで、「すっきりと垢(あか)抜けしていて上品な感じのする作風」と定評があるのも、かつて、柳橋に代表される下町の「粋」を自ら演じてきた先人の職人達が同じ神田川の流域に製作の場を移したことで、山の手の新境地においても消費者のニーズを的確に捉えることが可能になったのです。
落合は、自然にも恵まれ、四季の移ろいは模様の題材にも格好の材料となり、往時はカメラが稀少品で庶民の手に届かないこともあり、牡丹の開花時期には競って写生に出掛けたと云われています。このような落合の自然の光は、濁りのない明るい色彩を持つ、すっきりと洗練された「粋(いき)でモダン」と言われる作風を形成しました。
江戸手描友禅も1980年3月3日に国指定の伝統的工芸品として認定を受けて、
東京手描友禅と称されるようになりました。
伝統に培われた産業は、地域の居住環境と係わりを持ちながら今日まで歩んで来ましたが、東京手描友禅のように作者の一貫作業に頼る工程の多い仕事は、これから先も文化的産業として、育まれ受け継がれていくことと考えます。- 結 -

◆牡丹のスケッチ図案 ◆「水もとの」作業を神田川で
技術継承のため再現したようす。